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通商破壊すればイギリスは降伏するという前提です。甘いと言われればそうですが、それは真珠湾攻撃すればアメリカに勝てるという考えだってそうなのですから。

当時の状況は海軍が石油が有る内に何かしないことには許さない状況だったということです。真珠湾を攻撃するか、どこか他の所を攻撃しないことには収まりが着かなかったのです。
アメリカは日本に真珠湾攻撃されて、自分のけつを蹴っ飛ばされなければ、参戦できないような臆病者、卑怯者の国なのです。ドイツが有利になったくらいで参戦しませんよ。
ルーズベルトはやる気満々でしたが、アメリカはドイツやイタリアのような独裁国家ではなく、民主主義国ですから、議会や国民が戦争に賛成してくれなければ参戦できません。

そもそもルーズベルトはヨーロッパの戦争に参戦しないことを公約にして大統領に当選したのです。ですからルーズベルトにできることはレンドリースが限界だったのです。
第一案は真珠湾攻撃、
第二案はマルビナス攻撃、

として第一案だとアメリカとの戦争は必然となり、勝てる見込みが無い。
しかし第二案ならイギリスとの戦争だけなので、勝てる見込みが有ると言って説得するのです。

負けた時の話をするなら、アメリカと戦争して負けた時の方がひどくなると言えば良いのです。

真珠湾攻撃しておいて、早期講和できるという考えが甘いということです。
ドイツやイタリアを支援する為、日本はイギリス領マルビナスを占領する。と言えば良いのです。事実そうなのですから。

そうすれば、ドイツやイタリアは、もしアメリカが日本に宣戦布告するなら、ドイツとイタリアもアメリカに宣戦布告すると言ってくれるでしょう。

そうなればアメリカ国内のドイツ系やイタリア系の人達が日本に宣戦布告することに反対してくれるはずです。そしてルーズベルトは日本に宣戦布告できなくなるのです。
ですから戦争はするのです。ただし真珠湾のアメリカ軍ではなく、マルビナスのイギリス軍相手です。
連戦連勝を期待するような作戦は甘すぎです。マルビナスの方が成功する可能性が高いですよ。たとえ失敗しても小早川秀秋になれば良いのですから。
ドイツはアメリカが参戦することを望んでいないでしょう。しかし日本がドイツの為にやっていることを無視できない、見捨てておけないだろうということです。アメリカをけん制するだろうということです。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

日独伊三国軍事同盟(にちどくいさんごくぐんじどうめい、独:Dreimächtepakt、伊:Patto tripartito)とは、1940年(昭和15年)9月27日に日本(大日本帝国)、ドイツ(ナチス・ドイツ)、イタリア(イタリア王国)の間で締結された同盟条約を指す。

1936年(昭和11年)の日独防共協定、1937年の日独伊三国防共協定に引き続き、アジアにおける日本の指導的地位及びヨーロッパにおける独伊の指導的地位の相互確認、調印国いずれか一ヵ国が米国から攻撃を受ける場合に相互に援助すると取り決めがなされた。実質上、対米軍事同盟と見なされ、日本の対英、対米関係は極端に悪化した。

条約の正式名称は、日本では「日本国、独逸国及伊太利国間三国条約」(昭和15年条約第9号、日独伊三国同盟条約)と言う。

第一条 日本國ハ「ドイツ國」及「イタリヤ國」ノ欧州ニオケル新秩序建設ニ関シ、指導的地位ヲ認メ、且ツコレヲ尊重スル。
第二条 「ドイツ國」及「イタリヤ國」ハ、日本國ノ大東亜ニオケル新秩序建設ニ関シ、指導的地位ヲ認メ、且ツコレヲ尊重スル。
第三条 日本國、「ドイツ國」及「イタリヤ國」ハ、前記ノ方針ニ基ツク努力ニ附相互ニ協力スヘキ事ヲ約スル。更ニ三締結國中何レカ一國カ、現ニ欧州戦争又ハ日支紛争ニ参入シ居ラサル一國ニ依リ攻撃セラレタル時ハ、三國ハアラユル政治的経済的及軍事的方法ニ依リ相互ニ援助スヘキ事ヲ約定スル。

同盟条約の条文に拠れば、いずれか一ヵ国が米国から攻撃を受けた場合にのみ相互援助義務が生じる。日本が真珠湾を先制攻撃した場合には相互援助義務は生じないにも関わらず、ヒトラーは12月11日に米国に対して宣戦布告した。その後3国によって、日独伊単独不講和協定(1941年12月11日締結、17日公布)が締結された(連合国側もこれに対抗して翌年1月1日に同様の宣言を発している)。
シンガポールを占領するには、マルビナスのように海軍陸戦隊一個中隊というわけにはいきません。

陸軍の師団が必要です。海軍だけでできるような作戦にはなりません。それにアメリカが参戦してきたからといって、簡単に撤退することもできません。陸軍は兵士の血を流して占領した場所を放棄しないでしょう。つまり小早川秀秋になれなくなるのです。
以下の輸送船はイギリスから喜望峰を通って中東に向かっていたのです。ですからマルビナスから出撃し、南アフリカ沿岸で輸送船を攻撃すればイギリスに打撃なのです。

代替経路はパナマ運河から南極大陸を回って中東に行くことですが、遠いです。
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防衛研究所戦史部主任研究官の荒川憲一氏

 海上輸送力の戦い
http://www.nids.go.jp/dissemination/kiyo/pdf/bulletin_j3-3_3.pdf

 前述の甲支隊4隻は、6月、初めの1週間で12隻、52,840総トンの商船をモザンビーク海峡で撃沈した。これを潜水艦1隻当り1ケ月に換算すると12隻、6万総トンの撃沈能力があることになる。英国側の統計資料によると、当時この海域には月当り80~90隻(40万総トンから45万総トン)の連合国船舶が航行していた36。潜水艦1隻当りの撃沈能力が変わらないと仮定すれば(一般的に連合国側はそのような損害がでれば、即座に様々な対策を措置するので、撃沈能力が低下していくであろうが)、7隻から10隻の潜水艦をこの海域に常続的に配備しておけば、この補給動脈はほぼ切断されることになる。この数の潜水艦を常続的に配置しておくためには、この作戦には3個単位の潜水戦隊21隻から30隻充当しなければならない。日本は開戦時、60隻の潜水艦を保有していたので稼動率などを考慮すれば日本海軍の潜水艦隊全力の作戦とならざるをえないであろう。その意味でも、東の太平洋正面は防勢に転ずる「東守西攻」戦略は基本的前提として欠かせない。

 また、米国の造船実績は1942年には5,393,000総トンで月当り450,000総トンであった。

(この実績は富岡課長の報告に示された海軍軍令部の米国の造船力見積もり、月25万総トンの約1.8 倍であるけれども)白紙的にはこのインド洋正面での日本の潜水戦隊による通商破壊戦による連合国商船の撃沈量は米国の造船量に匹敵する。

 しかし、ここで重要な点は、撃沈量が建造量に迫るということにあるのではなく、この補給ルートをこの時期に切断するということにある。つまり、1942年の上半期に、このルートでインド洋地域(中東、ペルシャ湾、インド)に英国と北アメリカから連合国の船舶により戦車2,415両、航空機 1,969機が補給されていたのである。また同期間、英国からこの地域に海上補給された車両は44,425 両であり、北アメリカからは81,470 両がこのルートで補給されていたしたがって、もしこの補給動脈切断作戦が成功していたら、アフリカ戦線と東部戦線の戦況は変わっていた可能性が高い。
もちろん、私が絶対に正しいとは思いません。ですから「作戦会議室」なのです。

私は現実の帝国海軍作戦会議室の連中と違って、現実主義者ですからアメリカと戦って勝てるとは思っていません。ですからアメリカが宣戦布告してきたら小早川秀秋になった方が良いと思います。戦勝国になりたければ小早川秀秋になる必要があるのです。
燃料は有ります。
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http://www5a.biglobe.ne.jp/~nkgw/history33.htm
開戦前日の石油備蓄は4300万バレル
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この半分もあれば十分なのです。

脇坂でもいいですよ。要は戦勝国になれれば良いのです。
以下のように、開戦当初638.4万総トンの船腹量有ったのですから、100万トンも有ればマルビナスに行けるでしょう。
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http://www.geocities.co.jp/Technopolis/5215/rsbc3.htm

rsbc3

さて、3巻といえば、しょっぱなから通商破壊作戦が話題になっていますね。そこで、今回は戦時標準船について話しましょう。

日本の造船は、昭和31年商船の建造では世界最大になった。これは、戦争に敗れてから僅か10年目に達成した偉業である。

それを達成できた原因の一つに、戦時中に5.5億円以上を造船所に投資した(工場等7億円)ことがある。物量国アメリカの、リバティー船のごとき大量生産は望むべくもなかったが、それでもわが国が戦争中360万トンもの造船をなし得たことは物資不足の時代にあって驚異的な事と言える。

そのような商船建造をさせたのは、ひとえに戦時中の恐るべき船舶喪失にある。
開戦当初638.4万総トンの船腹量はS・18年10月には500万総トン、S・19年2月には400万総トン、同年9月には300万総トン、翌1月には200万総トン、終戦時138万総トンとなり、日本商船隊は壊滅したのであった。

戦争当時、技術者として、高校を卒業したばかりの私の祖父は朝鮮の元山で焼玉エンジンの製作をしていたそうです。ある程度の規模の造船所が軒並み計画造船に組み込まれるなか、植民地の小型船工場にまで動員がなされたんですねぇ。

戦時中の船舶喪失量883万総トンの多くは、機雷と潜水艦によるものであった。保有量に対する喪失率はS・17年8月までは1%前後と、開戦時の予想と大して違わなかったが、ガダルカナル戦が流れを変えたのだった。

太平洋戦争当時の日本の民間造船所能力の30%程度が戦闘艦建造にあてられていた。それでは、商船建造は50万総トン程度が限界である(S・17年度造船量実績は142隻40万トン)。S・18年からの敵潜水艦の跳梁で、船腹が激減するまでもなく、既に造船所建造は始まっていた。


1942年から1945年までに建造された戦時標準船の隻数は、最終的に1340隻338万総トンに達した。

日本海事振興会刊 戦時造船史小野塚一著に詳しくかいてあります。
地球は丸いからです。西からでも東からでも行きたい所に行けるのです。

イギリスを降伏させれば、中国へのレンドリースを断つこともできます。
200万トン使ってもいいですよ。最後は根性で行くしかないでしょう。真珠湾攻撃だって最後は根性だったのです。つまりやってみないと分からないということです。
159*2,150万=341,850万Lですね。膨大な石油が有ったのです。
341,850*10,000=3,418,500,000Lですね。
3,418,500,000L/1,000=3,418,500m3

約、二百万トン位でしょうか。
自分で言いだしといて何ですけど、燃料そんなにいらないでしょう。50万トンも有れば十分かと。つまり最初言った量の1/4ですね。まあ、素人が計算していることですからお赦し下さい。実は以前のトピのどこかに計算してもらった数値が有ったのです。その数値も50万トン位だったように思います。

ですから輸送船も100万トンも有れば十分かと。
ドイツが仮に占領しても、イギリスが戦艦2隻位で取り返しに来れば引き渡すしかありません。ドイツには航空母艦が無いからです。つまり維持できないからです。
私がマルビナス派遣艦隊司令官だったら、あなたのような文句ばっかり言う、やる気のない部下は置いて行くだけです。

真珠湾攻撃時の艦隊編成です

【空襲部隊】  
第一航空戦隊 赤城・加賀(空母) 〈南雲忠一中将〉
第二航空戦隊 蒼龍・飛龍(空母) 〈山口多聞少将〉
第五航空戦隊 瑞鶴・翔鶴(空母) 〈原忠一少将〉
【警戒隊】    
第一水雷戦隊 阿武隈(重巡) 〈大森仙太郎少将〉
谷風・浦風・濱風・磯風(第十七駆逐艇)
不知火・霞・霰・陽炎・秋雲(第十八駆逐艇)
【支援部隊】
第三戦隊 比叡・霧島(戦艦) 〈三川軍一少将〉
第八戦隊 利根・筑摩(重巡) 〈阿部弘毅少将〉
【補給部隊】
第一補給隊  極東丸・健洋丸・國洋丸・神國丸
第二補給隊  東邦丸・東榮丸・日本丸
【哨戒隊】
第二潜水隊  伊十九・伊二十一・伊二十三 〈今泉喜次郎大佐〉


陸奥爆沈の理由は不明ですが、一説では他人の迷惑を考えない人が多くの隊員を道ずれに自殺したと考えられています。

こんな問題のある艦を連れて行ってマルビナスで爆沈でもされては大変です。だから連れていかなかったのです。


フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

陸奥(むつ)
日本海軍の戦艦で、長門型戦艦の2番艦。横須賀海軍工廠で建造された。長門と同様長く国民に愛されたが、人気では長門を凌ぎ、戦前男の子が学校の図画の時間に描くものといえば決まってS字型煙突を持った最新最強の軍艦、「戦艦陸奥」であったといわれる。


陸奥爆沈
太平洋戦争中は広島湾周辺で他の戦艦ともども温存され、1942年6月5日のミッドウェー海戦に参加する。しかし部隊後方のため戦局への寄与は無く、第一航空艦隊壊滅後に呉に帰投している。

そしてその後も大きな動きも無いまま1943年6月8日、広島湾沖柱島泊地にて停泊中の陸奥は、連合艦隊旗艦の長門が修理を終えて柱島泊地に向かっているため、午後1時より旗艦ブイより繋留替えをする予定であった。

陸奥の航海科員が錨地変更作業の準備をしていた12時10分ごろ、突然三番砲塔付近から煙が噴きあがった。と、同時に突如爆発を起こし、一瞬のうちに船体は2つに折れ、前部部分はすぐに沈没した。後部部分は艦尾部分を上にして暫く浮いていたが、程なく沈没した。乗員1,474人のうち助かったのは353人であり、死者のほとんどは溺死でなく爆発によるショック死だった。

陸奥の南南西約1,000mに停泊していた扶桑は「陸奥爆沈ス。一二一五」と発信、以後陸奥に関する一切の発信は禁止された。また付近の航行は禁止され、死亡した乗員の家族には給料の送金を続けるなど、陸奥の撃沈は一般には秘匿され、国民は戦後になるまでこの事件を知らされなかった。

爆発事故直後に査問委員会が編成され、事故原因の調査が行われた。検討の結果、自然発火とは考えにくく、直前に陸奥で窃盗事件が頻発しており、その容疑者に対する査問が行われる寸前であったことから、人為的な爆発である可能性が高いとされるが、真相は未だに明確になっていない。謎めいた陸奥の最期は、幾つかのフィクションの題材ともなった。 陸奥爆発の原因は、スパイの破壊工作説、三式弾の暴発説、乗員のいじめによる自殺説などが挙げられている。

旧海軍では、乗員の自殺に伴う爆発沈没事故が度々発生しているが、軍の暗部を隠蔽するため、いまなお原因不明の事故とされている(なお、陸奥爆沈時の第一艦隊司令長官であった清水光美中将は責任をとらされる形で予備役に編入されている)。

ただし、三式弾の暴発説については現在ではほぼ否定されている。三式弾説は事故原因調査前に最も疑われた事故原因のひとつであったが、爆発直後に発生した爆発煙が三式弾のものではなく、主砲弾の装薬(九三式一号装薬:ニトログリセリンと綿火薬が主成分)であったということが、陸奥の隣に碇泊していた扶桑の艦長であった鶴岡信道大佐以下目撃者が異口同音に語っており、原因調査の際に行われた目撃者に対する火薬煙の確認実験でも全員異口同音に主砲弾の装薬のものと証言している。

事故後の調査実験でも三式弾の劣化等による誘爆は発生しないことが判明しており、この時点で三式弾説は完全に否定されているのだが、現在でもまことしやかに沈没原因として書籍に載っていることがある。
http://homepage3.nifty.com/~fwix7026/books/ww2/mutubaku.htm
陸奥爆沈

著者:吉村昭。新潮社。

70年刊行、79年文庫化。
昭和十八年六月八日、戦艦陸奥は柱島泊地で原因不明の大爆発を起して沈没した。

『陸奥』といえば大正十年に長門級二番艦として建造されてより昭和十六年に大和が作られるまでの長い間、長門とともに世界最強の名を欲しいままにしていた戦艦だけれど、一度として戦場で活躍することなく実に呆気ない最期を迎えてしまうとっても不幸な艦ですね。

その原因は未だもって謎とされているが、さまざまな検証の結果、人為的によるものとの疑いが濃いらしい。

思えば帝国海軍の軍艦火薬庫災害事件の中には、火薬庫の放火によって起こった前例が数多くあり、例を挙げれば、戦艦『三笠』(15,140トン)が二度、二等巡洋艦『松島』(4,280トン)、装甲巡洋艦『日進』(7,750トン)、巡洋戦艦『筑波』(13,750トン)、戦艦『河内』(20,800トン)、これらのほとんどが人為的なもの、または人為的疑いが濃いものだそうだ。

明治三十八年の『三笠』爆沈からわずか十三年ほどに七つの爆発事故を引き起こした日本海軍もそれ以降は弾火薬庫に関係する人選に十分な配慮をはらうようになり、しばらく火薬庫災害から遠ざかっていたのだが、『陸奥』爆沈は『河内』爆沈後二十五年ぶりの事故となってしまった。

帝国海軍の栄光のかげにくろぐろと横たわる軍艦事故の系譜が今浮かび上がる。
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陸奥爆沈で検索していたのですが原因を、いじめ、とする記事が多いですね。
いじめが原因で沈んだ軍艦の数では日本が堂々の一位でしょう。
日本海軍にとっていじめというのは敵の砲弾より恐ろしいものかもしれません。
敵の砲弾だってあれほどの被害を陸奥に与えることはできなかったでしょう。

いじめというのは、これはもう日本人の国民性ではないかと思わずにはいられません。どういう人がいじめられるかと言うと、人と同調しない人、変わったことを言う人、自説を曲げない人、周りの人全てから批判されても考えを変えない人、分かります。今の私がそういう立場ですから。

私には理解できませんが、一部の人にはそういう人はどうしても許せないみたいなんですね。その結果、日本人は徹底的に議論することができない国民なのではないかと思うんですよ。分かります。

徹底的に議論しようとすると、反則技を使って議論を封じようとしてくる人がこのコミュにもいますから。おそらく1941年の海軍作戦会議室でも同じことが起こったのでしょう。分かります。

アメリカとの戦争に反対した人がどのような目に会ったか。おそらくよってたかっていじめられたんでしょうねえ。日本になぜまともな作戦会議の議事録が無いのか分かりますよ。

その結果どうなったか?戦艦陸奥は爆沈し、日本そのものも広島と長崎で二度の大爆発の後、無条件降伏。アメリカと戦争を始めたということは一種の自殺行為です。それは陸奥爆沈の原因が自殺であるように。

日本はアメリカやイギリスからの経済封鎖といういじめに耐えられなかったのでしょう。そして真珠湾という名の火薬庫に放火してしまった。分かります。私のようにいじめに耐えられる人も居ますが、逆に日頃、他人をいじめている人は自分がいじめられると耐えられないものです。

なぜ、日本は第二次大戦で敗北したか?その原因がここに有るのです。イギリス人やアメリカ人には議論の相手を尊重し言論の自由を認める度量が有ったのに対し、日本人にはそれが無く自由な議論を封じてしまった。これが敗戦の原因なのです。

アメリカと戦争しても、勝てるのは一時的で最終的には負けると山本長官も認めています。従ってアメリカとの戦争は避けるべきです。
まず、この問題がそれほどの大問題なのか?ということですよ。陸奥と伊勢と戦力にそんなに違いが有るのですか?

1941年には確かに1943年のことは分からなかったでしょう。しかし、我々は1941年の作戦会議に介入することによって、既に歴史を変えてしまっているのです。

当然、陸奥は1943年には爆発しないでしょう。真珠湾を攻撃しないことで歴史を変えてしまっているのですから当然です。つまり我々は陸奥がいつ爆発するか知らないのです。分からないから陸奥は入れなかったということです。

いずれにせよ、陸奥か伊勢か、これ以上議論する価値は無いと思います。他に答えなければならない質問が一杯有るので、この質問はもう終わりにしたいと思います。
できたら、マルビナスを拠点にイギリスの通商破壊しても戦局に大きな影響を与えることはできないという説明をお願いします。


地中海航路は使えないというのが私の認識です。
現在の我々は未来の情報を知っているのですから、それを忘れろと言っても無理でしょう。しかし当時得られた情報を基に作戦を練るのは当然です。現在の我々は核爆弾の知識が有るからといって、核開発に全力を上げれば良かったというわけにはいきません。

陸奥の問題については、作戦全体から見れば、陸奥が伊勢に変わろうとも、大した問題ではないと思います。もっと重要な問題を議論すべきではないですか?

織田信長は裏切りに厳しい人だったようですね。その点が徳川家康と違いますね。裏切りに厳しい織田信長と裏切りを容認した徳川家康。この二人がその後どうなったか?誰でも知っていることです。

わざと負けるような作戦はいくらなんでも容認されないでしょう。仮に途中で発見されれば、そのままUターンすることになりますが、恐らくシンガポール攻略ということになるでしょう。

そうなると、海軍だけの作戦では無くなり、アメリカが参戦しても小早川秀秋になれなくなります。
マゼランやドレークは当然ながら、海図無しでこのあたりを航海していたのですよ。それを考えたら楽勝でしょう。
500kgのヨットでも一人で太平洋を横断できるのですよ。何百、何千トンの船がマルビナスに行けない理由は無いでしょう。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

堀江 謙一
1962年、マーメイド号による西宮-サンフランシスコ間の太平洋単独航海に成功。当時はヨットによる出国が認められなかったため、密出国であった。

日本では当初この点について非難が殺到し、犯罪者扱いすらされたが、堀江の偉業が認知されるにつれてその声は小さくなった。

なお当時のサンフランシスコ市長には「コロンブスもパスポートは省略した」と、名誉市民として受け入れられている。

また、1974年には270日余りで単独・無寄港の世界一周を成功させた。これについても、石原慎太郎から『週刊プレイボーイ』上で成功する可能性があり得ないものとして非難され、堀江を擁護する本多勝一らとの論争を呼んだ。

2004年からヨット「SUNTORY マーメイド号」で単独無寄港による世界一周(東回り)に挑戦し、2004年10月に兵庫県西宮市の新西宮ヨットハーバーから出発していたが、2005年6月に新西宮ヨットハーバーに無事帰還を果たした。

東西両方向周りで世界一周航海をしたのは日本人初、世界でもオーストラリア人に次ぎ2人目という記録である。
ですから、その結果をひっくり返せば良いわけですよ。真珠湾攻撃は国を滅ぼすからマルビナス占領に変更すべきとすれば良いわけです。

この作戦会議室で議論すべきことは日本を敗戦国にしないことです。それにはマルビナス作戦を実行し、アメリカが参戦してくれば撤退して、石油を大量に消費したので海軍はこれ以上作戦行動ができないと言って、陸軍を大陸から撤退させれば良いのです。
レイテの段階では海軍にたくさんの戦死者が出ているので戦争を止めれなくなっていたのです。

しかし、マルビナスを撤退した段階では海軍には石油は無いけど、戦死者はほとんど出てないので戦争を止めることができるのです。

陸軍が文句を言っても、海軍は石油が無いので何もできないと言ってねばれば、陸軍も石油が無いので何もできなくなって平和になります。
マルビナスから撤退した今はどうやってアメリカと仲良くなれるかを考える時ですよ。例え蘭印に行ったとしても、フィリピンを押さえられていてはアメリカと戦争などできるわけがないのです。

そんな精神論を言っていてもダメですよ。自分を客観的に見ないと。陸軍は石油が無い以上、大陸から撤退し、アメリカから石油を貰うことを考えるしかないでしょう。
大陸から撤退できない理由として陸軍が挙げていたのが、戦死者がでているのに撤退したら戦死者が無駄死にになるというものだったのです。
国民には説明して分かってもらうしか有りません。

海軍が動かなければ陸軍のやれることは限られていますよ。とても蘭印を陸軍だけで取ることはできません。そのうち陸軍の石油もなくなって何もできなくなったら戦争を止めるしかないでしょう。
しかし石油が無くなったら国民生活が立ちいかなくなり陸軍もそれを無視することはできなくなるでしょう。
反乱したのは陸軍の一部ですよ。


戦争継続すべしと終戦にすべしが同数だったので、天皇に聖断が求められたのです。
海軍は石油が無いので陸軍の言うことが聞けないのです。

海軍は陸軍を大陸から撤退させることで日本を救うことができるのです。
陸軍はウマシカなのでうまく騙せばよいのです。

陸軍と海軍が戦争しても石油は出てきませんよ。

マルビナスに行って通商破壊すればイギリスは降伏し、中東の石油が手に入ると言えば良いのです。

空っぽの石油タンクを見せれば良いのです。
だから陸軍はウマシカだと言われるんですよ。

1トンのヨットで世界一周だってできるんです。何百トンの船がマルビナスに行けないはずが有りません。私はそう信じています。
中東にはロンメルに行ってもらうのです。マルビナスからロンメルを助けることができるのです。
確かにマルビナスには石油は有りませんが、マルビナスで通商破壊すればロンメルを助けることができ、中東の石油が手に入るのです。

南印に行けば、アメリカとの戦争になった時、小早川秀秋になれないと言っているではないですか。アメリカと戦争しないことが戦勝国になる秘訣なのです。
マゼラン海峡はともかく、あの広いドレーク海峡なら目をつむってでも通れますよ。
ロンメルには盛り返してもらうしかありません。
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防衛研究所戦史部主任研究官の荒川憲一氏

 海上輸送力の戦い
http://www.nids.go.jp/dissemination/kiyo/pdf/bulletin_j3-3_3.pdf

 前述の甲支隊4隻は、6月、初めの1週間で12隻、52,840総トンの商船をモザンビーク海峡で撃沈した。これを潜水艦1隻当り1ケ月に換算すると12隻、6万総トンの撃沈能力があることになる。英国側の統計資料によると、当時この海域には月当り80~90隻(40万総トンから45万総トン)の連合国船舶が航行していた36。潜水艦1隻当りの撃沈能力が変わらないと仮定すれば(一般的に連合国側はそのような損害がでれば、即座に様々な対策を措置するので、撃沈能力が低下していくであろうが)、7隻から10隻の潜水艦をこの海域に常続的に配備しておけば、この補給動脈はほぼ切断されることになる。この数の潜水艦を常続的に配置しておくためには、この作戦には3個単位の潜水戦隊21隻から30隻充当しなければならない。日本は開戦時、60隻の潜水艦を保有していたので稼動率などを考慮すれば日本海軍の潜水艦隊全力の作戦とならざるをえないであろう。その意味でも、東の太平洋正面は防勢に転ずる「東守西攻」戦略は基本的前提として欠かせない。

 また、米国の造船実績は1942年には5,393,000総トンで月当り450,000総トンであった。

(この実績は富岡課長の報告に示された海軍軍令部の米国の造船力見積もり、月25万総トンの約1.8 倍であるけれども)白紙的にはこのインド洋正面での日本の潜水戦隊による通商破壊戦による連合国商船の撃沈量は米国の造船量に匹敵する。

 しかし、ここで重要な点は、撃沈量が建造量に迫るということにあるのではなく、この補給ルートをこの時期に切断するということにある。つまり、1942年の上半期に、このルートでインド洋地域(中東、ペルシャ湾、インド)に英国と北アメリカから連合国の船舶により戦車2,415両、航空機 1,969機が補給されていたのである。また同期間、英国からこの地域に海上補給された車両は44,425 両であり、北アメリカからは81,470 両がこのルートで補給されていたしたがって、もしこの補給動脈切断作戦が成功していたら、アフリカ戦線と東部戦線の戦況は変わっていた可能性が高い。

使いつぶしてないですよ。マルビナスから中東に行けば良いのです。

アフリカ大陸に沿って航行する船を潜水艦や巡洋館で攻撃するのです。
アフリカ沿岸には偵察機を積んだ巡洋艦1隻と潜水艦数隻を送り、他の艦隊はマルビナスにいるわけです。巡洋艦はアフリカの基地航空隊の攻撃範囲に入らないので航空機の攻撃を受けることは有りません。

強力な護衛船団を発見したら、マルビナスの艦隊を出動させます。
人間の体内には羅針盤は無いですが、潜水艦には有りますよ。
あなたは潜水艦の専門家ではないし、航海士でもないでしょう。
私も航海士ではないですが、航海士ならちゃんと目的地に行けますよ。
最初から持って行くか、拿捕したタンカーの分を使うのです。

暗礁の位置は分かっているのですから、近づかなければ良いのです。潜水艦といっても通常は20mくらいしか潜ってないでしょう。
過去レスに書いてますよ。それにここは作戦会議室であり、作戦を自由に検討する場ですから、より良い作戦に変更するのは自由ですよ。

待ったなしの将棋を指しているわけではないのですから。
航海士でもない私達が、できるかできないか議論しても仕方がないのではないでしょうか。
大丈夫もなにも、1941年の作戦ですよ。今からでは実行不可能ですよ。
ドレーク海峡は国際海峡ですから、ドレーク海峡の海図なら有るでしょう。
前提も何も1941年の作戦だと最初からトピ文に書いてますよ。
陸軍にそういう提案をして納得してもらえるなら、それでもいいですが、とても納得してくれないでしょう。
1941年11月では作戦を立てるのが遅すぎると言われるなら、10月か9月でもいいですが、真珠湾攻撃以外の作戦は無かったのかということです。
1941年の決定によって300万人の日本人が戦争の犠牲になったのです。その決定をした旧軍指導者達は批判されて当然ではないでしょうか?

本当に真珠湾を攻撃するしか選択肢が無かったのか?他に選択肢が有ったのではないか?ということです。

当時の指導者達は説明責任を果たしていないと言っているのです。そして国民に説明責任を果たさない伝統は今も続いているのです。

ですから私は過去の指導者達をウマシカだと批判すると同時に現在の指導者達も批判しているのです。過去の指導者達を批判することは、同じように説明責任を果たしていない現在の指導者を批判することになるのです。
それはそうでしょうが、そんなことを言っていては切りがないというか、別なトピを立てて議論することになると思います。ここは1941年の真珠湾攻撃以外の作戦は無かったか?というトピですので。
死者には敬意を払いますが、それと300万人の犠牲者を出した戦争の責任は別だと思います。二度とこのような失敗を起こさない為にも過去の戦争の批判は必要です。

私は当時の指導者達が本当に最大限の努力をしたのか疑問に思っています。彼らは怠惰で、仕事をさぼっていたと思います。無責任で、いい加減で、臆病で、卑怯者で、嘘つきだったのです。つまりウマシカだったということです。

それが今回の一連のトピの議論で証明されたと思います。
マルビナス作戦が真珠湾攻撃作戦より優れていることは今までの議論で明らかです。これが証明です。
この問題は二択問題なのです。

1)真珠湾攻撃作戦
2)マルビナス占領作戦

1)の真珠湾攻撃作戦がダメな作戦であることは歴史によって証明済みですから、
2)のマルビナス占領作戦が正解であることは明らかです。
アルゼンチンは日和見してたのが、ドイツや日本の敗北が決定的になって、小早川秀秋のように連合国の側に付いたのですよ。ですから1941の時点では中立だったのです。

マルビナス占領作戦がダメだと言われますが、300万人の犠牲者を出すことになる真珠湾攻撃作戦よりダメなわけが有りません。

マルビナス作戦が成功すれば戦勝国。失敗して撤退することになっても、小早川秀秋のようにアメリカ側について戦勝国なのですから。戦死者も1/10の30万人に収まるでしょう。

それでも地球は回っている」ガリレオ
 


失敗というのはアメリカの参戦のことでしょうが、アメリカが参戦して来たら撤退するのです。そしてアメリカ側について戦勝国です。マルビナス作戦は失敗しても成功しても戦勝国になれる作戦なのです。分かってもらえないのが残念です。
もちろん私は賛成ですよ。そしてこのトピをROMしてる多くの方々も賛成でしょう。いわゆる声無き多数ですね。

もちろん、戦争は政治の延長です。交渉は常に継続してすべきです。

歴史は結果です。
政治も結果です。
後だしジャンケンでも、小早川秀秋でも、
負けるより勝った方が良いのは明らかです。

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