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大津事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大津事件(おおつじけん)は、1891年(明治24年)5月11日に日本を訪問中のロシア帝国の皇太子・ニコライ(後のニコライ2世)が、滋賀県大津市で警備にあたっていた巡査・津田三蔵に突然斬りかかられ負傷した、暗殺未遂事件である。行政の干渉から司法の独立を確立し、三権分立の意識を広めた近代史上重要な事件。

小国であった日本が大国ロシアの皇太子を負傷させたとして、「事件の報復にロシアが日本に攻めてくる」、と日本国中に大激震が走り、さながら「恐露病」の様相を呈した。学校は謹慎の意を表して休校となり、神社や寺院や教会では、皇太子平癒の祈祷が行われた。ニコライの元に届けられた見舞い電報は1万通を超え、山形県の某村では「津田」の姓及び「三蔵」の命名を禁じる条例を決議する村まであった[要出典]。また、天皇が謝罪したにも関わらずニコライが帰国すると、5月20日には、死を以って詫びるとし京都府庁の前で剃刀で喉を突いて自殺し後に「房州の烈女」と呼ばれた畠山勇子のような女性も出現した。

津田が切りつけた理由は、本人の供述によれば、以前からロシアの北方諸島などに関しての強硬な姿勢を快く思っていなかったことであるという。また事件前、西南戦争で敗死した西郷隆盛が実はロシアに逃げ延び、ニコライと共に帰って来るという噂がささやかれており、西南戦争で勲章を授与されていた津田はもし西郷が帰還すれば自分の勲位も剥奪されるのではないかと危惧していたという説もある。

当時の日本は、何とか欧米の植民地にならずに済んだだけで、まだロシアに軍事的に対抗する力を持っていなかったため、賠償金や領土の割譲まで要求してくるのではないかと危惧された。そこで政府は事件を所轄する裁判官に対して旧刑法116条に規定する天皇や皇族に対して危害を与えたものに適用すべき大逆罪によって死刑を適用するよう働きかけた。

伊藤博文は死刑に反対する意見がある場合、戒厳令を発してでも断行すべきであると主張した。また松方正義首相、山田顕義法相らが死刑適用に奔走した。青木周蔵外相、井上馨などは消極的反対、逓信大臣・後藤象二郎などは「津田を拉致し拳銃で射殺することが善後策になる」と語った。

旧刑法116条は日本の皇室に対して適用されるものであって、外国の皇族に対する犯罪は想定されておらず、法律上は一般人と全く同じ扱いにせざるを得なかった。つまり怪我をさせただけで死刑を宣告するのは法律上は不可能であった。ただし裁判官のなかでも死刑にすべきという意見は少なくなかった。

時の大審院(現在の最高裁判所)院長の児島惟謙は法治国家として法は遵守されなければならないとする立場から、「刑法に外国皇族に関する規定はない」として政府の圧力に反発した。要するに「国家か法か」という回答困難な問題が発生したのである。

事件から16日後の5月27日、一般人に対する謀殺未遂罪(旧刑法292条)を適用して無期徒刑(無期懲役)の判決が下された。

ロシア公使シェービッチは以前から日本に対して恫喝的な態度をたびたび取っており、この事件に関しても事件の対処にあたった青木周蔵、内務大臣・西郷従道らに死刑を強硬に要求し、無期徒刑が決定したことを知らせると「いかなる事態になるか判らない」旨の発言をしている(なお、これに対して青木が「自分は伊藤博文に言われて死刑にする事を約束しただけである」と述べたために、伊藤から嫌悪されて政治家としての栄達を絶たれる原因となる)。

ロシア皇帝アレクサンドル3世も暗に死刑を求めていた。しかし結果的には賠償要求も武力報復も行われなかった。ただし皇太子の負傷に関しては、皇帝も皇太子も日本の迅速な処置や謝罪に対して寛容な態度を示しており、日本がこの問題を無事解決できた理由の一つにロシアの友好的な姿勢があることは疑いない。

この事件判決で司法の独立を達成したことにより、まだ曖昧だった大日本帝国憲法の三権分立の意識が広まった。しかし大津地裁で扱われるべき事件を正常な手続きなしで大審院に移したり(大逆罪の適用を考慮していた為、皇室罪に関する裁判はすべて大審院における一審において判決が下されることから、適用可否判断を含め地裁ではなく大審院に持ち込まれることになった)、裁判に直接関わっていなかった児島が干渉を重ねたことは裁判官の独立等の問題として残った。
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外国の顔色をうかがい、鼻息をうかがって、官僚の処罰を決めるとは、明治時代から一歩も進歩していないというより、むしろ劣っている。

外国からの干渉を断固はねつけ、憲法を守った偉大なる我々の先人、児島惟謙は草葉の陰で泣いているだろう。


この論文を最優秀賞に選んだ審査委員長の渡辺昇一氏にも、国会に参考人として来ていただき、国会議員との間で歴史論争を展開していただけば良いでしょう。渡辺昇一氏も望むところでしょうから、喜んで国会に来ていただけると思います。

国会の論戦を通じて田母神航空幕僚長や渡辺昇一氏の側が馬鹿なのか、それとも国会議員の先生方が馬鹿なのか、決着をつけていただければ国民としてもありがたいです。

しかし、私が恐れているのは国会議員の先生方が怖気づいて論戦に応じないことです。
国会議員の先生方が卑怯者、臆病者でなければ良いのですが・・・
国会議員の先生方が馬鹿なのは許せるが、臆病者、卑怯者なのは許せません。

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